チェンセン・チャイプラーカーン(ファーン)様式 青銅仏残欠 [北部タイ発]
先日、チェンセン・チャイプラーカーン(ファーン)様式の青銅仏の(体部分の)残欠を入手した。緑青の美しい残欠で、以前入手した頭部分の残欠と合わせてみたところサイズや青銅の状態がほぼピッタリだったのでさっそく頭部分を設置出来る台座を発注した。その台座が本日(写真2枚目のように)イメージ通りに仕上がり、残欠2点がチェンセン国立博物館に展示されている同様式(写真3枚目左側)とそっくりにレベルアップしました。
Buddhist Sculpture of Northern Thailand
- 作者: Stratton, Carol
- 出版社/メーカー: Serindia Pubns
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: ハードカバー
ハリプンチャイ期 大型の塼仏 [タイ発]
ハリプンチャイ期の大型の塼仏(写真1〜2枚目)を入手しました。型が深く非常に立体感のある塼仏です。この大型の塼仏はチェンマイ国立博物館が改装された際に新設された塼仏コーナーに2017年から展示されているもの(写真3〜5枚目)と同型のもので、私もその時初めてこの型の存在を知ったのですが、両斜め下に一緒に展示されている通称「プラ・シップペート(18仏の型)」と呼ばれる大型の塼仏よりもさらに大きいのでおそらくハリプンチャイ期最大サイズではないかと思います。次に博物館品と合わせて出来るだけ近い角度で写真を撮って比較して見ました(写真6、7枚目)が同型のものと分かります。博物館品は上部に少し欠けがあり腰から下の下半身部分は直しもしくは他の残欠を繋げているように見えますが照明が強くてはっきりとは分かりません。今回入手した上半身片にはハリプンチャイ期のテラコッタ仏に見られる朱色の顔料(赤土)が裏表全体にコーティングされています。おそらくこの2点はほぼ同時期に同じ(テラコッタ製の)金型から作られたものではないかと思っています。美術的にはハリプンチャイ様式ですがドヴァーラヴァティー美術の影響を受けた塼仏で年代的にはドヴァーラヴァティー期(6〜11世紀)末期にあたる、ハリプンチャイ期(11〜12世紀)頃のものだと思います。また光背の形状や体格が同時期のプラクルアン「プラ・コン」と共通している点(写真8枚目)も興味深く、下半身の残欠だけでもいつか見つかればと思っています。出土地はランプーン市内中心部西側のワット・チャーマテウィーから西へ向かったチェンマイ県境近くで数年前に発掘されたエリアです。タイも今週から国立博物館が再開されまた久しぶりにチェンマイ国立博物館に行きたいと思っている。
<追記>2020年5月26日 ケースが出来たのでさっそく入れてみた(写真3枚)。このサイズだと塼仏というよりも出土仏に近く、(一番下の写真・ワット・プラタート・パーガオ寺院の)上半身だけ出土したチェンセン仏に近いイメージになった。
<追記>2020年6月7日 本日チェンマイ国立博物館に行ってきましたので写真を追加します。目的の展示物がショーケースの奥にある為これ以上の写真は難しいですが前回よりも正面から撮影出来たと思います。展示物の記述詳細は現在アップデート中で残念ながら確認出来ませんでしたので館員と話をして来ました。チェンマイ国立博物館の展示物は現在のチェンマイ県内で出土したものが展示されているとのことで、この大型の塼仏はハリプンチャイ王国の中心地だった現在のランプーン県市内中心部から西側ヘ10キロほどのところにあるピン川沿いチェンマイ県側のウィアン・ターカーン、もしくはウィアン・マーノーのどちらかのようです(地図参照)。年代はハリプンチャイ期 西暦11〜13世紀のものです。
<追記>2020年9月9日 チェンマイのコンテストに参加した翌日にランプーン県に行ってきました。目的はこの塼仏の出土地だと思われるウィアン・マーノー(下の写真1〜5枚目)を見るためです。以前チェンマイ国立博物館の館員から聞いた通り、遺跡ではなくお寺になっていました。ただ住職に確認したところここが以前発掘されたハリブンチャイ期の古代都市(ウィアン・マーノー)があったエリアで間違いないようで敷地内の大きな菩提樹の根本には発掘時に出土した古いレンガ(テラコッタ)が集められていました。ここで出土した遺物の大部分が博物館で保管され一部のものが地主等を経由してコレクターに流れたのだと思います。その後ここから東へ9キロほどのところにあるランプーン市内のワット・チャーマテーウィーにも久しぶりに寄ってきました。(最後の写真4枚)
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Buddhist Sculpture of Northern Thailand
- 作者: Stratton, Carol
- 出版社/メーカー: Serindia Pubns
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: ハードカバー
タイスマイル 仏像頭部(チェンセン・ファーン様式) [北部タイ発]
タイスマイルと言っても航空会社ではなくタイの微笑みのことです。この青銅仏頭部は昨年タイ北部で出土したものでチェンセン・チャイプラーカーン(ファーン)様式 16世紀頃のものです。400年〜500年は地中にあったのもで出土直後(写真2、3枚目)は表面に土が硬く付着した状態でした。この状態でも薄っすらと仏像の表情が分かりますがクリーニング後の仏の微笑みはとても素晴らしいです。ちなみに写真4枚目はチェンセン国立博物館に展示されている同様式のものですが顔がよく似ています。前オーナーがケースを作ってくれたましたが首からぶら下げるのは少し大きいのでこのままの状態で大事にしたいと思います。
Buddhist Sculpture of Northern Thailand
- 作者: Stratton, Carol
- 出版社/メーカー: Serindia Pubns
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: ハードカバー
チェンセン・パヤオ様式 仏像頭部(砂岩製) [北部タイ発]
前々から欲しかったチェンセン・パヤオ様式の砂岩製頭部(写真1〜4枚目)を入手しました。破損はありますが流石は本物の美術でとても良い顔をしています。写真5枚目は文献に掲載されているものですがパヤオ市内のワット・リー寺院の展示室に保管されている同様式のものです。これは宝冠仏で珍しいタイプですが写真6枚目のように2点を比べてみると顔部分はそっくりです。年代的には西暦16〜17世紀のものです。
Buddhist Sculpture of Northern Thailand
- 作者: Stratton, Carol
- 出版社/メーカー: Serindia Pubns
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: ハードカバー
ウートン美術様式 Ⅰ類 Ⅱ類 青銅仏頭部 [タイ発]
スパンブリー県に行くといつもウートン郡に直行しウートン国立博物館ばかり行っているがスパンブリー市内にもスパンブリー国立博物館があります。そこにウートン期の仏像の分類についての記述がある。写真1、2枚目が「ウートンⅠ類」と呼ばれる3つに分類される最初の美術様式です。まだロッブリー美術(12〜13世紀)の影響が強く残っている。年代は13世紀後半〜14世紀末に見られる美術様式でこの様式のものは希少で多くは残っていません。写真3枚目は12年ほど前にウートンⅠ類として入手したものです。その下は2点を並べて比較してみた写真です。顔の雰囲気は似ているが目の形状が異なっており輪郭については左側のものは四角ばっているが右側のものは丸みがかっている。最後の写真はウートンⅡ類(14世紀末〜15世紀中期)の記述です。Ⅱ類はまず頭部が面長になってきており眉毛のラインが変化、Ⅰ類の視線は正面でしたがⅡ類は上まぶたが被さり視線が下方向に移って来ています。私のものは頭上部が欠損しておりすべてを見比べて分類することは出来ませんが雰囲気的にⅠ類後期〜末期(14世紀後半)頃のものではないかと思います。専門的な表現ではありませんがⅠ類は子供のような表情をしており、Ⅱ類ではそれが消えている点でやはりⅠ類に入ると思いました。以前この頭部を入手した当時の記事がありましたのでリンクを貼りつけておきます。https://thaiart.blog.ss-blog.jp/2008-07-07
<追記>タイ人の識者数名に意見を聞いたところウートンⅠ類で間違いないと分かりました。またスコータイ美術(13〜15世紀)の影響を受けており目や鼻の形状の変化、顎付近の輪郭が丸みを帯びてきているはその為だと分かりました。参考まで(2020年5月13日)
ラタナコーシン朝 青銅仏(大型) [タイ発]
ラタナコーシン青銅仏です。持っている青銅像の中ではいちばん大きいものです。写真一番下の様に台座の上に仏像を置くと仏像部分が小さく見えますが実は仏像だけでも膝幅15センチ、高さ31センチあります。ラタナコーシン時代の青銅仏はこの一体だけですが良いものはがっしりとしてとても迫力があります。装飾部が繊細でも体部分の作りが細いものはやはり見栄えもそれなりです。自己満足かも知れませんが仏像部分をアップにして掲載しておきますので参考にして下さい。年代的には19世紀末から20世紀初頭、ラタナコーシン期のラーマ5世の時代のものです。GW向け連続投稿は以上です。
ランナー木製仏 パヤオ様式? [北部タイ発]
ランナー木製仏 19世紀頃のものです。袈裟と同じ黄色に装飾された木製仏はラオスでは見られるますがタイではあまり見かけません。また横から見るとよく分かりますが上半身が少し前に傾いた姿勢をしておりラオス木製仏に近い美術の木製仏です。ですが顔はラオスではなくタイの仏像です。ラオスに隣接するタイ北部ナーン県にも近いものがありますが結論から言うとパヤオ県のものだと思います。写真3枚目はパヤオ県ウィアンロー遺跡の博物館の展示品、写真4枚目はパヤオ県チェンカム郡タイルー文化センターの展示室で見たものです。これら2点は16〜17世紀のチェンセン(パヤオ様式)の石仏ですが19世紀頃に外側を同様の色で装飾されています。そして写真5枚目は文献の石仏頭部(チェンセン・パヤオ様式、16世紀)との比較ですが全体のバランスや形状がよく似ており当時の美術様式を継承しているようです。本日タイはウィサカブーチャ(仏誕節)と言う重要な仏教の日(仏日)です。
パヤオ県のお守り(その14) [プラクルアン]
次は仏暦2512年(西暦1969年)にワット・ブンユーン寺で発行された土製(テラコッタ)のお守り プラ・ロートです。どれくらいの数発行されたかは分かりませんがコイン型のお守りと違いお寺に参拝に来た地元の方々に渡せるように何度か作成され、都度クバー・イントーによる入念がされてきたものです。3パターンの型が確認されています。写真のプラ・ロートは最近譲ってもらったもので、おそらく当時お寺でこのお守りを授かった方があまり時をおかずにプラスチック枠に入れて大事にされてきたもので中のお守りの状態がとても良い貴重なものです。プラスチック枠も50年ほど経っておりかなり年季が入っています。プラ・ロートはもともとはランプーン県ワット・マハーワン寺で出土したハリプンチャイ時代(10〜12世紀頃)のお守りでタイのお守り、プラクルアンのトップ5に入る雲上級のお守りです。有名で人気の高いお守りで北部タイのみならず近年はタイ全土のお寺で発行されるお守りのデザインにもよく使われています。アユタヤ時代の有名なお守りプラ・クンペーンも同様のことが言えます。高僧が入念して作られたプラ・ロートではチェンマイ旧市街地のワット・プラシン寺で発行された仏暦2497年ものが人気でコレクター間ではよく売買されています。ちなみに「ロート」とはタイ語で「逃れる」、「生き残る」という意味があり危険回避のお守りです。サイズが小さいお守りでマハーワン寺出土のオリジナルのプラ・ロートが土製(テラコッタ)であることから「タイの土は世界一高い」と表現されることがあります。オリジナルのプラ・ロートは高価で希少ですので簡単には入手出来ませんが高僧によって入念された近年のプラ・ロートは比較的安価で入手出来ますのでお勧めです。少し話が逸れてしましましたがタイには77つの県があり数えられないくらいのお寺と高僧、そして無数のお守りがありますのでまずは自分の好きな県やお寺等をキーワードにしたり、また好きなデザインのお守りを本などから見つけるなどしながら自分に合ったお気に入りのお守り探しをしていくのも良いかも知れません。記事を通して参考になればと思います。
パヤオ県のお守り(その13) [プラクルアン]
前回の続きです。今度は仏暦2518年(西暦1975年)に発行された高僧クバー・イントー生前最後のお守りです。満80歳を記念して発行されたもので前年2517年10月24日 ロイクラトン(灯籠流し)の時期に入念儀式されています。画像1枚目はその時(クバー・イントー79歳の時)に撮影された写真です。お守りは初代2508年のお守りに比べてサイズは大きいですが仏暦2510年代以降はこのサイズが主流になっているように思います。トックと言われる印がお守り中央左下付近に押されています。これは型抜き後に押されたもので押印の際の圧で裏側は少し盛り上がっています。この頃からは簡単にコピー出来ないような工夫がなされていますが現在までに既に3タイプの偽物が確認されています。写真4枚目は押印部分の拡大写真写真です。ちなみに現在はパヤオ県ですが当時はまだチェンライ県パヤオ郡だったので裏側にはパヤオとチェンライの文字が入っています。5枚目は初代2508年と最後2518年のお守りの比較です。2518年のお守りはかなり状態が良いです。コイン型以外にもクバー・イントーのお守りも持っているので後日記事にしたいと思います。
<追記>2020年9月14日 昨日初めてワット・ブンユーンに行って来ましたので写真をアップしておきます。本堂の隣には小綺麗なお堂があり高僧クバー・イントーの銅像が祀られています。クバー・イントーの簡単なヒストリーもありましたので後ほどじっくりと読んでみるつもりです。
<追記>2023年6月26日 ケースに入れたので写真アップしておきます。