現在、タイ南部のみならず、タイ全土で最も有名なお守りの1つとなったプラ・ルアンポー・トゥアットはアユタヤ時代(17世紀)に実在した高僧ルアンポー・トゥアットをモデルにしたお守りで、タイ南部パッタニー県ワット・チャーンハイ寺の住職、高僧アーチャーン・ティム(写真3枚目、仏暦2455~2512年)によって仏暦2497年(西暦1954年)に初めてお守りとして発行され、その後タイ全国で最も有名なお守りの一つになりました。その中でも仏暦2497年に発行された(土やポンをベースに霊草などが配合された)ワーン製のお守り初代ルアンポー・トゥアットの人気は別格で価格的には一般人にはなかなか手の届かない雲上級の夢のお守りです。今回記事にするお守りルアンポー・トゥアットは仏暦2506年(西暦1963年)にワット・チャーンハイ寺で発行され高僧アーチャーン・ティムらにより入念されタイ北部チェンマイの名刹ワット・プラシンの住職に贈られたものでタイ南部からタイ北部に初めて伝えられたお守りルアンポー・トゥアット(ワーン製)です。現在ではこのお守りのことを北部タイに残る高僧アーチャン・ティムの遺産と言われています。高僧アーチャン・ティムによるルアンポー・トゥアットのお守りはワット・チャーンハイ寺以外にもパッタニー県に隣接するソンクラー県ワット・パコ寺やヤラー県ワット・ムアン寺でも発行されていますが、いずれもタイ南部です。では何故タイ北部のワット・プラシンにお守りルアンポー・トゥアットが伝えられたのか?という問いにいろいろな説がありますが、高僧アーチャン・ティムがワット・プラシンの住職と親しい間柄だったことが大きな理由の1つのようです。当時はワット・チャーンハイ寺発行のお守りルアンポー・トゥアットが現在誰もが知るお守りになることは当然まだ誰も知りませんでしたし、そのようなお守りがタイ南部から遠く離れたタイ北部に伝えられたことは簡単に説明出来ることではありません。このお守りはその後ワット・プラシンで仏暦2512年に入念儀式されています。型は大型2種類、中型、小型、超小型(チウ型)の計5つの型があり、すべてワーン製のお守りです。このワーンはワット・チャーンハイ寺で仏暦2497年に発行された初代ルアンポー・トゥアットの材質(ワーン製)とかなり近い配合で、一説によると初代ルアンポー・トゥアットに使われたモーンサーン(素材)の残りで作られたと言われています。前置きが長くなりましたが、写真1、2枚目が今回手に入れたルアンポー・トゥアット(ワット・プラシン、仏暦2506年)の大型と呼ばれる型の1つです。写真4枚目以降のようにプラクルアン雑誌SPIRIT等々でも特集記事で詳しく書かれていますが、このお守りの入手と同時に分厚い文献を購入し現在読んでいるところです。このお守りは初代ルアンポー・トゥアット(仏暦2497年)が作られた初期に近い年代のもので、素材の良さ、型も初代ルアンポー・トゥアットのデザインをベースにワット・プラシン向けに新しく作られた型で、さらに高僧アーチャン・ティムによる入念等、知れば初代ルアンポー・トゥアットに近いお守りということが分かります。続く。

<追記>2023年6月26日 昨年12月にランプーン県で開催されたお守りコンテストの入賞証明書写真をアップしておきます。


<追記>2023年7月8日 ルアンポー・トゥアット(ワット・プラシン)の文献に掲載されている写真を掲載します。写真1、2枚目が文献に掲載されている同型(大型、ハスの花台座)です。写真3枚目は写真2枚目左上のものを拡大したものです。写真4枚目は並べて比較したものです。左側がブログ主のもので、右側が文献掲載品です。2点は当時、同じ素材から同じ型で作られたものです。